大阪の万才は、パイオニアとして玉子屋円辰、砂川捨丸・中村春代コンビなどが知られています。戦前の寄席演芸界隈は、落語が中心であったため万才はまだ添物的立場に置かれていました。その後、2人で落語を演じる形式の軽口噺、浪曲の要素が混ざり合って今の形式になったそうです。

大正末期には、吉本興業の芸人コンビ「横山エンタツ・花菱アチャコ」が登場し、「萬歳」から「万才」を経て、「漫才」の名が定着し始めて東京へも進出して行きました。

エンタツ・アチャコの登場後、漫才は全国に急速に普及し、スター漫才師を次々に生み出しました。今日の東京漫才の祖と言われている「リーガル千太・万吉」などもこの時期に誕生しています。

第二次大戦後、戦死・消息不明などで相方不在となる大変な時代を経て、大阪を中心に復興していきました。漫才は寄席演芸として発達してきたが、マスメディアとの親和性に優れていたため、ラジオ・テレビ番組で多く披露されました。

1960年代後半から1980年代は「お笑いブーム」が起こりました。このブームはカラーテレビが一般家庭に普及し、娯楽ニーズが変容し、テレビ局が競って漫才番組を編成した影響です。

この「お笑いブーム」の起源は「花王名人劇場」、「THE MANZAI」などが挙げられます。このブームが引き金となって「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも!」などの、いわゆるバラエティ番組で活躍する芸人たちが台頭します。1960年代の最初のブームで世に出た芸人を「お笑い第一世代」、この漫才ブームで活躍した芸人を「お笑い第二世代」と言われています。